October 08, 2003

阿佐谷おでん

「おでん」と言えば、阿佐谷「米久」でありました。

この画像は閉店記念にいただいたテレフォンカードだが、平成7年(1995年)12月28日とあるけど、これが最終日だったのかなー。1996年の1月21日、阿佐谷で開かれた「お別れ会」の会場でいただいたカードだと思う。もう8年近くもたってしまったのか。

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とにかく、米久の「おでん」は最高だった。おいしいとか、うまいとか、そんなの通り越して阿佐谷の「おでん」はあったのだ。

この写真のご主人、米沢さんという。あの時から、故郷の伊那谷にリタイアされたのだ。今では、年賀状を取り交わすぐらいになってしまったが、お元気なんだと思う。

今でも「阿佐谷+おでん」で Google で検索すると「米久」がでてくるが、この米沢さんの「米久」でを引き継いだ方がやっておられる。名前は残っているが、中身は別物という話だ。昔の「米久」を知っている人達は行かないようだ。

最初、「米久」なんて屋号も必要なかった。阿佐谷の映画館の前にでてくる「屋台」だったのだから。最初に知ったのは1982年の暮あたりと思う。映画館の横のブロック塀にその屋台はあった。

主人の米沢さんは片手がない、きっと太平洋戦争で失ったんであろう。冗談で、だから5000円以上にならないんだ、なんて云っていた。すみません。
いつも立ったまま、ビールを飲み、おでんを食らった。そこで忘年会もやってしまった。三々五々集ってきた仲間で、おでん鍋の底まで食べてしまった。そうだ、佐賀井の結婚式には屋台を休んでまで出席なさって下さった。佐賀井覚えているよね。
大日本おでん党を結成して、おじさんは党首で立候補したらどうか、公約は「学校給食におでんを」でどうか、なんてばかばっかり云っておりましたです。
その映画館のブロック塀もフィットネスクラブになり、その後、屋台からお店になっても、えんえんと通い続けたのでありました。初めて屋台に行ってから13年も行っていたんだ。うーむ、いろいろありましたですね。

メニュウのなかで「おでん屋」らしからぬもの「ねぎま」と言ったが、ネギとマグロをちょいと温めて、からし醤油、うまかった。とにかくおでんの定番、練物もいつもうまかった。ハイキングの前日、材料を仕入れさせていただいて、あのニラ入りの薩摩揚げをバーベキュー風に焼いて食べたりした、うむ、うまかったであります。そうだ、スぺシアルの物って牛筋もあったよな........。

今でも、女友達に「秋山さんって、阿佐谷のおでんに連れてく行くって云っていたけど、いつなのよ」ってせめられておりますです。

投稿者 AKi : October 8, 2003 09:50 PM
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